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From:眞田

塾の生徒が、学校の先生に人格を否定する発言をされて学校に行くのが嫌になった時期があった、と言っていました。

私は「教育とはこうあるべし」のような話にあまり詳しくはないのですが(教育に関する本も少ししか読んだことがありません)、「人格を否定するような言葉を投げてはいけない。行為を注意しなくてはならない。」という趣旨の話はどこかで聞いたことがあります。私が高校の時、勉強のできる友達が授業を無視して自分のやりたい勉強をしていたら、先生がキレて「だからお前はだめなんだ」と叱責したときは、「この先生は人格を攻撃する怒り方をしているから、だめな先生だ」そう思った記憶があります。だから高校の時には私にはその価値観がすでに入っていたのでしょう。

 

大人になった今は、「人格否定」に関してそこまで否定的ではありません。そのように変わった理由は、いわゆる肩書が「先生」ではなく、心の底からこれはすごいと思えるようなスキルや知識をもっている本物の先生は、他人の人格を否定することがあることに気づいたからです。そういった方たちは「人格否定の言葉は投げてはいけない」そのような価値観は持ち合わせていないように思いました。もちろん、これは私の少ない人生経験で感じたことで、本物の先生がすべてそうだとは言い切れません。

 

一般的な感覚を持っている私は、人格を否定する様子を目の当たりにしたとき、すぐに疑問が浮かんできました。でもその疑問を先生にぶつけるわけにはいきいません。くだらない、レベルの低い質問をしてしまったら、関係が切られる可能性があるからです。

私は昔、ふと思いついたことを気軽に質問してしまったことがあって、それまでは「お前は頭がいいな。俺の言っていることが時期にわかる」と上機嫌に教えてくださっていたのに、自分で考えればわかることを、何の気なしに質問したときから先生の顔が険しくなっていって、とめどなく冷や汗が出た経験があります。「『何でも質問していいよ』なんて引っ掛けに決まっているだろう。お前も教えている仕事をしているのにそんなところにも気を配れていないのか。バカな奴は頭がバカだから考え出すことがことごとくだめで、バカな判断しかできないのだから、バカは救いようがない。」バカバカバカと怒られてしまって、その後連れて行っていただいたイタリアンは全く味がしなかったです(笑)。それ以来、疑問が浮かんできてもすぐに質問するのではなく、先生の行動や発言を注意深く観察して考えるようになりましたし、質問するにしても自分なりに考えに考え抜いた上で、緊張感を持って質問するようになりました。

一応、念のため伝えておきますが、この塾では何も気にせずに質問してくれて大丈夫です。私はその質問内容から、あなたの現状を把握したいからです。

 

そういうことですから、私の目には、先生はあえて人格否定の言葉を投げているように見えるのですが、それを質問することはせず、先生や他の私が会うと緊張するような方々の言動から、自分なりに判断することにしました。私がこれまで感じたことはたくさんありますが、今回は2つお伝えしてみようと思います。

 

一つ目は、自分を強く否定されて立ち直れないようでは、そもそも教えようがない、です。

 

一般の人たちが持っていない、特異なスキルを身につけようと思ったら、多くの人と同じような感覚や考え方をしていたら、到底スキルは獲得できません。だから、これまでの自分を肯定しているような人には教えようがないのです。

私は以前、「自分を変えようとするな。生まれ変わりなさい。出自を変えるのだ。今の自分を変えようと思うと、これまでのだめな自分を引きずってしまう」そう言われたことがあります。そう言われたところで、全然それが実践できないところが悩ましいところですが・・・。

 

あと、最近先生から来たLINEにこうありました。

「コミットしていない人は、最初から問題外です。コミットしていても、まったくうまくいかずに、苦しい時期がつづきます。そして、皆、やめてゆきます。では、やめなければ、それだけでうまくいくか?そういうものでもないのです。真剣に、今のダメな自分を捨てるまではどうにもならないだから、結局、ほとんどの人は、ダメなままです。今の自分に自信がある人は、ダメな自分を捨てられないからダメ。自信が無い人は、心が折れてやめるからダメ。じゃあ、誰が残るのか?今の自分をダメと知り、そんな自分を殺して捨てる覚悟があり、今の自分でない自分でも良い人です」

この文脈からも強く自分を否定することを求めていますから、「人格を攻撃するなんて、教師としてありえない!」と自分の心を守ろうとする人には教えようがないということでしょう。

 

二つ目は、プロテクションです。誰も彼もに自分のスキルを教えるわけにはいかない、ということです。

これも直接聞いたことがあります。「自分は幸運なことに、生まれながらに高い知能を備えていた。その上、数十年間努力して、ようやく掴めてきたことがある。自分はいつかは死んでしまう。自分が死ぬ前にこれまで自分が得たことを伝承しておきたいという気持ちがあるが、同時に、これまでの産みの苦しみを考えたら、そんな簡単に教えられるかという気持ちもある」

教えてくださいと気軽に言ってくる人には教えたくないし、そしてもちろん、「こう言ったら傷つくかな?言葉を優しくした方がいいかな?」などと、教え子の気持ちに配慮しながら教えるつもりはさらさらないのです。

 

稀なる人は、一般人と感覚が違うから稀なる人であって、常識など持ち合わせていません。常識や道徳など、外から入れこまれた基準でははなく、自分の信念に基づき判断します。「人格否定はよくない」なんて教育の現場ではよく言われていることですから(たぶん)、あえてそれをしてくるということは何かある可能性があります。そしてまた、そう思っておくと、冷静に状況を判断できるようになるかもしれません。冷静に、「この人の言うことに従う価値はあるかな?」と検討していくのです。優しい先生がいい先生とは限らない。正しい思考体系が備わっている先生がいい先生です(私の基準)。私も教える仕事をしているわけですから、いい先生であるように、日々、勉強と検討はしていかなくてはいけないと思っています。